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専門コラム 第36話 家は、単なる生活の器ではない

                                   

絆を失った人間社会

日本では明治時代に絶滅したとされるオオカミについて知る機会がありました。

 

「送りオオカミ」というと、現代では親切ごかしで女性を送り、すきを見て乱暴する不埒な男という意味で使われます。

これに限らず、童話の「赤ずきんちゃん」や「三匹の子豚」などでは、オオカミは人間や弱い者の敵として扱われ、その顔も恐ろし気に描かれることが多いようです。

 

しかし、各地の伝承には、「送りオオカミ」について別の意味を持ったものがたくさんあります。

オオカミは山道を歩く人間についていき、ほかの危険な動物や妖怪から守ってくれるありがたい生き物だというのです。

また、畑を荒らす小動物を獲ってくれるため、人間に益をもたらす「大神」としてあがめていた地域もあります。

 

オオカミのもう一つの特徴は、とても社会性があるということです。

オオカミの社会はヒエラルキーが確立していて、その中で秩序だった生活が営まれ、同時に家族思い、仲間思いだといいます。

昔の人たちはオオカミを、人間に近しい存在と考えていたようです。

 

仲間同士の絆が強く集団行動する動物は、ほかにもたくさんいます。

一般的に、個体としての力の弱い種に多いようです。

その点では人間もまさにその一種でしょう。

狩猟時代はそれぞれ役目を決めて集団で狩りをし、コメ作りが始まってからも集落や地域で助け合って稲作に取り組んできたのですから。

 

そうした絆が急速に崩れていったのは、経済成長に伴う都市への人口集中と、地方の過疎化と軌を一にします。

 

そして現代。人間は人間同士の結びつきを失って、無縁の中をさまよっているように見えます。

さまざまな局面でその傾向は顕在化していますが、住宅においても深刻化しています。

代表的なのが空き家の増加ですが、次のような例も見られます。

 

シニア向けマンションの孤独死

シニア向け分譲マンションが本格化してきだしたのは10年ほど前でしょうか。

ちょうどそのころに建てられたマンションが、10年たってどのように変貌しているか。

管理人をしている人に話を聞いてみると、このスタイルのマンション自体が失敗だったのではないかと思わざるを得ません。

 

一番の問題は、言うまでもなく〝超高齢化〟です。

もともとシニア向けでしたから、入居時には若くて60代。

現在では大半が後期高齢者で、最高齢は100歳間近だそうです。

しかも、夫婦で入居しても平均寿命の短い夫の方が先に亡くなるケースが多く、女性の比率が年々高まっているといい、一人暮らしになると引きこもりがちになる人が多いそうです。

 

高齢化は筋力や体力の衰えとしてまず現れます。

温泉を引いた大浴場に入りたくても介護なしでは危なっかしく、中には周囲の生死を振り切って無理やり入り、転倒するケースも。

さらに、認知症も出始めます。

こうした状態ですので、理事のなり手がおらず、管理組合の存続さえ危ぶまれているのが現状です。

 

何より問題なのは、子どもや孫との断絶です。

このマンションは温泉と豊かな自然が売りですが、ちょっと歩いて買い物にという店が周囲にはなく、移動の足の確保も難しいところにあります。

ですから、子や孫にとって同居はしづらく、売却して他へ引っ越すにも、資産価値が激減。購入額の5分の1でも売れない状態では、よほど資力がないと動くにも動けません。

 

そんな中、一つの事件が起こりました。

一人暮らしの女性宅で、新聞が取り込まれずに放置されたままという状態が続いたのです。

不審に思った管理人は、連絡先として届けられていた息子に電話して、家の中を確認していいかを尋ねました。

 

しかし、返事は「急に旅行に行ったりすることもあるので、放っておいて」というもの。

息子は一向に訪れることもなく、そんなやり取りが2,3回あった後、部屋の前の廊下に異臭が漂うようになりました。

さすがに放置できず、隣家に頼んでベランダ越しに女性宅をのぞき込んで、倒れている女性を発見。死後1週間という検視結果でした。

 

孤独死です。最初に異変に気付いたときに部屋に入っていれば、結果は違ったかもしれません。

少なくとも、こんな悲惨な状態で見つかることはなかったでしょう。

 

息子を薄情と責めるのは簡単です。

しかし、こうした親子関係はこの家族だけに限りません。

〝姥捨て山〟と入居者自身が卑下する状態にある高齢者が少なからずいるのです。

 

子どもが孫を連れて帰ってきたくなる家を

高度経済成長期、若者は夢とチャンスを求め、あるいは田舎の人間関係のしがらみを嫌って、相次いで都会に出ていき、核家族化が進みました。

現在では東京への一極集中が顕著です。

一方で、急速なインターネット社会の実現は、濃密な人間関係を避けたがる若者の間でソーシャルネットワークシステム(SNS)の拡大という形で広まっていきました。

 

時代の変化として受け入れざるを得ないのかもしれませんが、本来、生活の基礎となるべき家族の絆まで捨ててしまう必要はないはずです。

 

その家族をつくる基盤となるのが家です。

これからの家に、人間関係を取り戻す役割を求めるのは無理なことでしょうか。

 

空調最大手のダイキン工業は、空気の研究に産学共同で取り組んでいます。

健康づくりはもちろん、勉強に集中しやすくなる空気、睡眠に適した空気などを創り出せないかと考えているのです。

空気と併せて色や光、においなども研究対象に入っています。

 

快適さを感じられる空間であれば、そこが自分の居場所になりやすいものです。

少なくとも、疲れたときやつらさを感じたときに思い出し、戻ってみようかという気にさせてくれるでしょう。

 

もちろん、快適さは住環境だけで創り出せるものではありません。

何より大事なのは家族や仲間との結びつきであり、そこから生じる温かみでしょう。

しかし、家がそうしたものを生み出せるように工夫する余地はあると思います。

 

マイホームを建てた経験のある人は理解できると思いますが、そもそも子供一人に1室は必要でしょうか。

たとえば、子どもが中学入学と同時に新居に引っ越したとしましょう。

その子がほぼ確実に家で暮らすのは中学高校の6年間だけです。

その後の子ども部屋はそのまま使われずにおかれるか、物置になるくらいでしょう。

 

それなら初めから、子どものための閉鎖空間をつくるより家族の存在をより身近に感じられる造りにした方がいいのではないかと思うのです。

そこでの記憶が、いったんは家を出た子供たちを実家に引き付ける力になることもあるのではないでしょうか。

 

家を建てるにあたっては、当然のことながら施主さんと家族の要望をできるだけ聞き入れようとします。

しかし、家づくりに長年携わってきた経験から、将来まで考えた、施主さん家族も気の付かない部分を指摘することはできるはずです。

 

これからの家づくりにはぜひ、家族の絆づくりを考えた工夫を凝らしてほしいと考えるのです。