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専門コラム 第255話 武家社会の能力主義に学ぶもの

    

『ビジネスのそばに自分の得意分野を置くこと』をきっかけとして、三話に亘り続いた『得意なことで徹底的に磨きをかけると人生が変わる!』というコラム。皆さんは、どう捉えたことでしょう。

そしてコラムでは、得意分野を探せない方に「目の前の上手く行っているものを、取り敢えず続けてみる」こと。このことで、道を見出してほしいとメッセージを送りました。

というのもこの方法は、自分も使った方法だからです。

と同時に「得意なことで磨きをかけると人生が変わる」というのは、実際に多くの人生の先輩方が体験していることです。

実はこの話題、前回で暫く封印するつもりでした。

ところが先日何気なく動画を見ていたら、武家の世界でも能力主義というものが一般的だと知りました。

そこで、時代の移り変わりという意味でも大事なテーマと考え、最後に武家社会について取り上げようと決めました。 「もうお腹一杯だよ」という方はスルーしていただいて結構です。
しかし、武家社会や武士の生き方に関心がある人だけでも読んでいただけると、こんな嬉しいことはありません。

  

武家社会の能力主義に学ぶもの

1 武家の能力主義は鎌倉時代から確立されていた!

 

筆者が、武家の教育でも「得意なことで徹底的に磨きをかける」能力主義が、一般的と知ったのは、先日のコラムに「英国や海外の富裕層ならいざ知らず、日本の平凡な家庭に育った方は、自分の得意分野も分からずに大人になる方がほとんど」と記してから間も無くのことでした。

それは『むすび大学チャンネル[1]』というチャンネルで、作家・武士道研究家としてご活躍の石川真理子氏の動画[2]から、武家の教育が「かなり能力主義だった」と知ります。そして、あらためて武士というものに興味が湧いてきました。

武士というと、鎌倉時代に勢力を持つようになったと言われ、その後室町時代、戦国時代を経て、比較的平和とされる江戸時代に至るまで、世の中の変遷に併せながら立場を変えていきます——一般に知られる武士とは、合戦が盛んだった時代は軍事に携わった階級です。しかし先ほども触れた平和な江戸期には、武官から文官、つまり官僚へとなった者もいます。

武家の教育が「かなり能力主義だった」とするのは、鎌倉時代にはすでに確立されていたようで、しかも早い段階から親や子育ての係の人が、彼らの能力を伸ばすやり方で、躾や教育が進められていたそうです。

また各藩に存在した藩校では「この子は何に長けているのか」しっかり見極めた上で、教育が行われていたらしいのです。

これはスピリチュアリストの MOMOYO さんが話していた、イギリスの富裕層の家庭でおこなわれている教育——それは僅か 1 歳ほどで、あらゆる種類の習い事をさせて、その中でいちばん集中力が続くものに収斂していく——と、幾つか共通する点が見出せると考えてよいでしょう。 もちろん、将来は鎌倉武士として食べていく人間と、現代のコーディング・マスターとして食べていく人間を一緒にはできません。
しかしこと教育については、その子の素質を丁寧に引き出すやり方に、それほど大きな差異は感じられないでしょう。


[1] [むすび大学チャンネル](https://www.youtube.com/channel/UCAMT4hftbWt0kNK7PpKBgEg)

[2] [やはり日本はすごかった…現代人こそ学ぶべき『武士道』の教え│石川真理子×小名木善行](https://www.youtube.com/watch?v=MQpglKwVhmU&t=191s)

   

2 「武士は食わねど高楊枝」は本当にあったこと?

 

また先ほども触れたことですが、武士は世の中の変遷に併せて立場を変えていきます。
そして象徴的なのは、平和な江戸期には文官へ変わった者もいますが、下級武士に至っては無職になった者もいるということ。

しかしそんな中でも武士という職を捨てることはできません。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉にもあるように、特に江戸時代の武士は経済的に苦しかったようです。

日本初の武家法と言われる「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」。これは鎌倉時代から江戸時代まで存続します。そしてこの「御成敗式目」は、寺子屋の手習本としても使われています。つまり庶民の子たちの教育にも、武家教育は広まっていたと解釈できます。

しかし「御成敗式目」に書かれていたものは、武芸の戦術などではありません。
それは当時(鎌倉時代)の天皇や貴族に倣い、専ら仏教に帰依していた武士の姿です。それはどういうものかというと、端的に言えばお釈迦様の教えの根本を成す「慈悲の心」です。

そして「慈悲の心」を根幹とした民衆に優しい政治が、江戸の平和な時代を作ったと言われます。

また、どんなに生活に困窮しようと武士は刀の所持が許された身分です。
士農工商が敷かれている以上、その意味で一般庶民とは確実に一線を画します。そのため武士はどんなに生活に困っていても、庶民から手本と見られるよう「一挙手一投足まで気をつけよ」と教育されました。

これを提唱したのは、軍学者・儒学者としても知られる山鹿素行の「士道」と言われています。 なお「士道」とは、江戸という新時代の武家社会のあるべき姿として、「武士道」に代わり新たに登場した習わしと考えられます。

   

3 鎌倉武士の個人主義は現代に比してもめずらしい

 

では、なぜ武家の能力主義は、早くから育ったのか?

それは合戦が中心だった武家社会において、集団が強い軍力を備えるのに、それぞれの武士が各人の得意分野を伸ばす必要があったからです。

石川真理子氏は言います。

「武士の教育を(現代のように)画一的なものにしてしまっては、軍隊そのものが弱くなってしまいます。
武士集団とは、それぞれ得意分野を活かすことで事を成し遂げた集団。だから武士の能力主義ということは、教育の面からも徹底されていた」ということです。

そういう見方をすると、武士とは自分の能力に磨きを掛け、それを売りにした武芸スペシャリストの集まりです。特に鎌倉時代の武士は、自分でどの主人に仕えるかも、自分で決めていたそうです。

さらに武士は、自分の能力を正しく評価しない主人を「主人ではない」と言い捨てたとされています。つまり働きに対して答えてくれない主人は「主人とは言わない」としたと言います。

このような武士の強気とも取れる関係性、個人主義は、現在の労使間でもめずらしいと言えるでしょう。

また「侍は渡り者」と言われ、「風が靡くように強く有力なものに従う」と『承久記』という書物にも残っているようです。このことは、後の武士道の忠義にあるような「一度仕えたら後は生命までも捧げる」と言ったことは、全く言われていなかったことになります。

筆者は小学生低学年の頃、テレビ版『子連れ狼』を再放送で見た世代。番組の翌日は決まって川原の草むらで、よくチャンバラごっこを楽しんだものです。しかしいまの時代、民衆の手本となり、その影で刺客を買って出る武士のような存在は風前の灯火かもしれません。 ただ武家の教育方針は、今の世の中でも何らかの生きるヒントを授けてくれる気がします。
皆さんは、どう感じられたでしょう。

  

  

  

 

記事提供:経営ビジネス相談センター(株) 代表取締役 中川 義崇

 

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また、人事考課制度を戦略的に活用し、高確率で新規顧客を獲得するための方法論を日々研究しています。